みそ誌

刺繍と絵画の二人組-misomiso-がお送りします

クリスト(触り心地を置き換えること)

現実の風景というのはけっこう完璧だなあと思うことがある。山の上からの見晴らしは気持ちがいいし、新宿の雑踏でさえ眼に馴染む。こんなにごちゃついた街並み、電飾、人々、崩れかけたタイル、ぴかぴかの窓ガラスが眼の中で自然と溶け合う、というか受け入れてしまうことに(うーん、これが存在するものの強さだな)とびっくりしてしまう。

  

先日、美術家のクリストが亡くなった。ものを梱包することを表現手法とする夫婦ユニット(あ、misomisoと同じだ)で、妻のジャンヌ=クロードは2009年に先立っている。作品の規模は途方もなく、パリの橋やベルリンの国会議事堂、果ては島まで包んでしまう。その梱包のための数年がかりのプロセス(資金集め、住民や行政の協力)も含めて芸術活動だそうだ。思いついたことを何が何でも眼前に具現させたいという気持ちは分からんでもないけれど、それにしてもこんな面倒なことをよくやれるよなあ。

 

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Christo and Jeanne-Claude《Wrapped Reichstag》1971-95

出展:Christo and Jeanne-Claude | Projects | Wrapped Reichstag

 

街中に布に覆われた巨大建造物があるのも、けばけばしいピンクの布が緑の島の周囲をぐるりと囲んでいるのも写真で眺めるとちぐはぐで嘘みたいな景色だ。実物を観ると印象は違ってくるのだろうか。梱包の意味するところは対象の欠損(街から議事堂を消す/同時に在ることを際立たせる)でもあるけれど置き換え(議事堂をどでかいぬいぐるみにすげ替える)でもある。素朴な見方をするとクリストは触覚についてフェティッシュな作家なんじゃないかな。石の硬さや冷たさを布の柔らかさで、建築の彫刻と構造をぬいぐるみの曖昧な凹凸で、水面のさざ波をピンクの色面で置き換えていく行為を梱包作品は含んでいてクリストはけっこう重きを置いているように思う。

 

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Christo《Wrapped Cans》1958

出展:Christo and Jeanne-Claude | Projects | Wrapped Cans and Bottles

 

大規模なプロジェクトを始める以前には小さな作品も存在して、缶をモチーフにした一連の作品では梱包した缶と剥き出しの缶を並べている。布の表面には錆びて煤けて潰れた鉄屑のような処理をわざわざ施していて、缶の地肌の質感と金属に似せた布の質感の対比を見せつけていて味わい深い。この缶の作品以降は色んなもの(雑誌、バイク、人体)を包んでいるけれど、包むものと包まれるものの質感のコントラストも缶の頃より大きい。布から机の足だけチラッと見せちゃったりなんかしちゃってかわいいなあ。この触ることへの鋭い感覚が大規模なプロジェクトでもずっと保たれていてすごいなと思います。ご冥福を。

 

Christo and Jeanne-Claude公式WEBで作品が見れます↓

christojeanneclaude.net

 

スーパーの店員が勝負を仕掛けてきた!

近所のスーパーに声優みたいな声の店員さんがいる。いつもとても丁寧な接客で、はっきりとした発声とアニメのキャラクターのような声色が印象的だ。

「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」「またお越し下さいませ」

彼の挨拶はまるで判で押したようにいつ聞いても同じ調子を保っている。その時の気分や疲れが声に表れることなく、常に穏やかで聞き取りやすい発声を意識しているようだ。

決して悪い印象はないのに、彼のレジに並ぶ度になぜか少しそわそわしてしまう。スーパーでは経験したことのない、緊張に似た気持ちが胸の中を通り過ぎて行く。しばらくの間理由は分からなかった。

しかし、ある時突然ひらめいた。この感じ、中学時代の部活の大会で漂っていたピリピリした空気に似ているな。

 

あ!私は挑まれているんだ。

 

おそらく、彼の中には空手の型みたいに挨拶の理想形があり、そこを目指して毎回ベストを尽くしてきてるんだ。いや、自己ベスト更新を狙ってきているんだわ。接客の度に挨拶選手権が開催されて、私たち客は彼に挑まれているんだ…。だからこんな固唾を呑むような妙な緊張感が生まれるんだろう。

 

このことに気づいてから、私はスーパーのレジでもう迷うことなく彼の列に並ぶようになった。そちらが挑んで来るのなら、こちらだってどっしり構えて受け止めようではないか。そんな心持ちで対峙している。 

 

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(み)

 

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コーネルのカタログ

先日、DIC川村美術館でのジョゼフ・コーネル コラージュ&モンタージュ」展の記事を書きました。 

misomiso-embroidery.hatenablog.com

 

会場での予約販売だったカタログを注文していたのがようやく届きました。これがとっても凝った内容なので紹介したいと思います。

 

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まず外箱はコーネルがコレクションしていたコラージュ用素材から選りすぐった3種類のデザインから選択できます。僕は身体のない夫人と眼差しを向ける子どもの図柄を選びました。

 

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箱から本を抜き出すと、布張りのかっちりとした作り。外箱には特別柔らかい手触りの紙が貼られているので布の手触りとの対比があります。かすれたような銀文字で印刷されたタイトルは、コーネルの箱作品にコラージュされた文字の雰囲気があり細かいところまで手が込んでいます。

 

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判型もハードカバーの小説サイズなのでカタログにしては小さく、印刷も細かいところまで鮮明に観ることができるほどよくはないですが、コーネル作品の古めいた味わいが感じられる仕上がりになっています。水色とグレーの栞紐もコーネルがたびたびモチーフとして取り入れた天体のイメージが想起されて素敵です。

 

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肝心の内容は展覧会と同じように初期コラージュ作品→箱作品→後期コラージュ作品、日記や手紙などの付帯情報、映画作品を紹介する構成になっています。コーネルの活動を一望できる内容ですし、巻末資料(年譜、展覧会歴、参考資料)も充実しているのでコーネルを研究したい、知りたい人のとっかかりの一冊としては最適ではないかなと思います。

 

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図版をぱらぱらと眺めるだけで古びた夢のような作家の世界にどっぷりと浸れ、コーネル作品が手元にきたかと思えるくらい所有欲が満たされる素晴らしい一冊です。美術館の公式サイトでは一般書店でも販売予定とアナウンスがあります。デザインは選べないけれどアマゾンにも販売ページがありますね。

ジョゼフ・コーネル コラージュ&モンタージュ

ジョゼフ・コーネル コラージュ&モンタージュ

 

 

(そ)

 

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塩田千春『魂がふるえる』

森美術館での塩田千春の展覧会に行ってきました。2008年に大阪中之島国立国際美術館で『精神の呼吸』展を観て以来のファンです。

 

* * *

 

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彼女は生と死、存在と不在という普遍的なテーマを扱って制作してきた。持ち主のいないトランク、履く人のいない靴、誰も座っていない椅子、弾き手がいないピアノ。。これらは裏を返すとある人が持ち歩いたトランクで、履き古された靴、誰かが座っていた椅子、そして何人もの奏者がこのピアノで音楽を奏でたという存在の跡ともいえる。そこに今は誰もいないことが「存在からの不在(つまり死)」の印象を強く与える。さらにその不在のオブジェクトを糸でがんじがらめに結びつけ合い、その糸が空間全体を埋め尽くすことで「個人」を超えた「集団」の不在感で展示室が満たされる。彼女が一貫して取り組んできた深刻で重苦しいテーマを複数の大規模なインスタレーションとオブジェ、スケッチや紹介映像で一気に駆け抜ける展示になっており見応え十分。知ってる人も知らない人もわざわざ足を運ぶ価値のある展覧会なので是非。

 

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それにしてもたくさんの人が来館していて驚いた。場内の大部分が写真OKで来場者を楽しませていたことは動員には貢献しているんだろうけれど僕は企画側のミスだと思う。塩田千春の作品は観て楽しい幸せいっぱいの作品ではない。静かに空間そのものを味わい重いテーマを咀嚼する場だ。そこは僕たちが生活している俗世から膜を隔てた向こう側の世界だし、そうした非日常の世界のままでいい。写真を撮ることはこちらの側に作品を引きずり出して日常に並置してしまうような行為だと感じた(といいつつブログ用写真をちゃっかり撮らせていただきましたが、、 

 

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ただ写真問題は些細なことで、陳腐さの根本的な原因は作品に対する僕の受け止め方が変わってきていることだろう。作品が意味と直接的に結びつきすぎているように感じるようになった。その明快さがキャッチーで10年前の僕は惹き込まれたんだろうけど、今の気分はもっと形や色彩の面白さによる興奮、言葉にし難い感覚に作用するようなものが観たい(要はブログに書きにくいもの?それはそれで困る。。)帰り道にペロタン東京で観たJOSH SPERLINGの小さな展覧会が良かったので機会があれば何か書こうと思う。ペロタンは森美のすぐ近くなのでついでにどうぞ。ペロタンペロタン。

 

塩田千春に関して驚いたことがある。彼女が精華大学で村岡三郎の助手をしていたと紹介があった。これはぜんぜん知らなかった。村岡三郎といえば鉄や塩を使った彫刻の日本における先駆者であるが、僕にとっては親戚のおじさんだ。幼い頃の僕は毎年夏休みになると滋賀の山の上にある村岡のおっちゃんのアトリエで過ごした。だだっ広い作業場の隅っこのテーブルとソファで僕らはごはんを食べていて、その作業場の真ん中にはわけのわからない鉄の塊やら妙な機械やらが置いてあるのを眺めた。昆虫を捕まえたり川で遊んだり親戚のお兄ちゃんとテレビゲームをして離れで寝泊まりして、アトリエでの夏はいい思い出ばかりだ。それがちょうど90年代の前半〜半ばにかけてだったと思う。塩田千春が助手をしていたのもだいたい同じ時期。もしかしてアトリエで見かけていたのかもしれないなー。

 

* * *

 

出口付近のシアタールームで上映されている高田冬彦の映像作品が笑えます。ただの石を「偉い石」へと昇華させるというプログラムで心を掴まれました。浅草をチンドンで練り歩き何でもない石をあたかもご利益でもあるかのように通行人になでなでしてもらうという内容です。塩田ワールドから阿呆らしい俗世へときっちり戻ってからの六本木散歩がオススメです。

 

(そ)

 

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梅シロップ作り

こんにちは。東京は雨が降る日が続き、梅雨らしい天候ですね。

梅雨の語源に「梅の実が熟す時期に降る雨だから」という説があるように、今は梅の季節です。

というわけで、ここ数年作りたいと思っていた梅シロップをようやく作りました。作ってみるとすごく簡単で、かつ美味しい出来上がりになったので、備忘録として作り方を書いておこうと思います。気になるけど面倒だと思っている方にもぜひ試してみてほしいです。

 

1. 材料を用意する

  • 青梅 1kg
  • 氷砂糖 1kg
  • 4L容器
  • カップ焼酎25度(容器の消毒用)
  • 爪楊枝(ヘタ取り用)

容器はこれです。軽くて丈夫。

果実酒瓶 S型 4.0L みどり

果実酒瓶 S型 4.0L みどり

 

 

2. 梅を水につける

ボウルに梅を入れて水で浸し、4時間ほど置く。

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3. 容器を消毒する

梅を水につけている間に容器を消毒する。焼酎を容器に入れ、全体に行き渡るように容器を回す。 回し終わったら焼酎は捨てます。

 

4. 梅の水気を切る

清潔なタオルで梅を拭く。1つずつやると時間がかかるので、タオルの上に梅を並べて転がすと良いです。

 

5. 梅のヘタを取る

爪楊枝で梅のヘタを取る。軽くつつくと簡単に取れます。作り方を調べてる段階ではこの工程が一番面倒そうでやだな~とか思ってたんですが、タオルの上で梅を転がしていたら半分ぐらいの梅は勝手にヘタが取れました。

 

6. 梅と氷砂糖を容器に入れる

梅、氷砂糖、梅、氷砂糖...と交互に容器に入れる。適当に入れても多分大丈夫です。

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7. 放置

3日目。全体の半分ぐらいがシロップに浸かってます。

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12日目。ネットで調べたところ10日ほどで完成と書いてあったのですが、まだ底に砂糖が溶け残っています。全然混ぜていなかったので、定期的に中身を混ぜた方が良かったのかも。。

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20日目。砂糖が全て溶けました。予定よりも日数がかかりましたが、これにて完成です。

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と、こんな感じで放ったらかしておくだけで美味しいシロップができました。自分の手を動かして作業する時間は30分ぐらいでした。簡単ですね〜。

最近はこれをソーダで割ってちまちま飲んでます。梅シロップが激濃ゆなので、ソーダ:梅シロップ=12:1ぐらいの割合でOKです。

浮かんでいる梅は取り出して梅ジャムにする予定です。

 

雨続きは嫌になるけど、お家で美味しい梅シロップを楽しめるなら梅雨も悪くないかな。皆様もぜひお試しあれ〜。

 

(み)

 

 

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Confessin’

通っているギター教室の発表会でした。3度目です。

 

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martin 00-18c 1967

 

 

演奏したのはI'm Confessin' That I Love You。「愛してるって告白するよ」という気障な題名のこの曲はメロディが美しいジャズスタンダードナンバーです。ナイロン弦ギターの名手アール・クルーをカヴァーしたんだけれど、彼の演奏はピアニストのセロニアス・モンクにおそらく基づいていて、僕はモンクのファンなのでこの選曲というわけです。

 

 

出来映えはというとたくさん練習したのにうーんいまひとつ。緊張で手が震えてしまって思うように指が回らない。今までの発表会ではこんなに固まってしまうことってなかったのになんでだろな。。

 

と、つらつらと考えて、あ、ひとりだったからだと結論した。いつもは先生とサポートの音楽家の方々をバックに演奏するんだけど、今回はひとりきりでのステージだ。どんなに些細な一音も自分の責任として返ってくる。と思うと怖い。

 

誰かに協力してもらうと気持ちは軽くなるけど結局は自分の言葉で相手に伝えないといけない。まさに告白みたいだなと曲のタイトルと重ね合わせてつまらないことを考えた。本当はアンサンブルの中でも自分の言葉でうまく語れるようになるのがいいんだろう。でも、それではやっぱり先生方に頼り切ってしまう気がするから半年後の発表会でもひとりで演奏してみよう。リベンジだ〜🔥

 

(そ)

 

 

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映画「海獣の子供」

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五十嵐大介原作漫画「海獣の子供」がまさかのアニメ映画化ということで喜び勇んで(少し心配しながら)観に行った。上映後、近くの席に座っていたカップルが「よく分かんなかったね、言いたいことは分かったけど。。」という会話をしていた。(それでいいじゃないか。。)とも思うけれど、確かに原作を読んでいないとなかなか理解しがたい内容だとも思う。以下、原作を含むネタバレ有の簡単な解釈です。

 

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この話はクライマックス、つまり誕生祭の意味づけから考えられた物語だと思う。誕生祭は宇宙、地球、海、動植物(人間を含む)、細胞、、マクロ〜ミクロの全存在は「世界」の中の「個」である、と同時に「世界」の一部分としても成立しているという思想を表すための象徴的な儀式だ。五十嵐氏のこの「同時に複数の状態であることを許す」考え方を私はなかなか気に入っている。

 

物語の序盤で海に導かれて瑠花は「人魂」を見る。「人魂」は物理的には「隕石」であるが、象徴しているものは「精子」だ。瑠花の役割は祭の目撃者であり、だからこそ海は瑠花に誕生の祭の始まりの瞬間を見せた。(この時の「人魂」が二つだったのはなぜだろう?競争に敗れる精子のメタファーか)

 

隕石は海のどこか(小笠原沖?)に落ち、空に発見され、瑠花へと受け渡される。やがて瑠花は女神の模様を持つ大鯨に飲み込まれ、その体内(鯨の、そして流花の体内)で鯨のソングと隕石は共鳴する。卵子精子の出会いである。誕生祭が始まる。映画版では誕生祭はべらぼうに壮大な映像世界(すごかったね。。)が繰り広げられるが、その中には細胞分裂のイメージが織り交ぜられている。

 

ところで誕生祭ではいったい何が誕生したのか。魚たちから発せられた光は他の生き物によって食べられている。それは個体レベルで見ると新たな子を産むために必要な栄養のようなものを取り込む行為なのだろう。しかしその光の一つ一つはまるで星の光であり小さな宇宙のように描写されており、宇宙を主体に見ると体組織の一部の生まれ変わりである。つまり「誕生」は個にとっては新たな生命を宿すことだけれど、同時に全体にとっては「循環」の意味合いを持っている。誕生祭は子の誕生と宇宙の循環とを引っくるめた祝いだと思う。

 

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映画版は五十嵐大介の世界観をヴィジュアル面でも思想面でも表現した素晴らしい出来だけれど原作の重要なエピソードを大幅に削っている。ただしそれらのエピソードを補填すればすっきり分かりやすくなるというわけではなく、要素が増えてさらに複雑に感じるかもしれない。人によって解釈が分かれる、それでも解釈せずにはいられない作品こそが名作だと私は思う。自分の考えで作品を味わいたい方はぜひとも原作を読んでください。

 

(そ)

 

 

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